子どもが宿題をしないとき、親はどうすればいい? 小学校教員が教える対応のポイント

教育

プロローグ

 リビングの時計は、無情にも二十時を回っていました。

ダイニングテーブルの上にはまだ一文字も書かれていない算数のドリルが、ぽつんと置かれています。その傍らでは、我が子がソファに寝そべりタブレットを縦に構えたまま、動画をスクロールし続けているのでした。

「ねえ、宿題は?」

母親である私は我ながら柔和な声を心がけて、そう声をかけました。ええ最初は優しく言ったのです。これでも三回までは。

「うん、あとでやる」

「あとでって、もう八時よ?」

「わかってるって」

――わかっているなら、なぜやらないのかしら。

喉の奥から、ぐっと何かがせり上がってくるのを感じます。これは怒りというより、もはや生理現象でした。背中のあたりが、じわじわと熱を持っていくのです。

(ここで怒鳴ったらまた同じことの繰り返し。わかってる。わかってるのよ、私)

頭では理解しているのでした。感情的に叱っても、子どもは萎縮するだけで宿題の本質的な解決にはならない。育児書にも、ネットの記事にもそう書いてありました。ええ、ちゃんと読んだのです何冊も。

けれど。

「あとで、あとでって、あなた毎回そう言うじゃない。もう何回目?」

「……今いいとこなんだよ」

「いいとこ?」

思わずソファを覗き込むと画面の中では、猫が箱に頭を突っ込んでそのまま後ろ足で立っているのでした。

――可愛い。可愛いけれども。

「今、それを見ている場合じゃないでしょ!」

ついに声が裏返りました。我が子はビクッと肩を震わせ、タブレットを胸に抱えたまま私を上目遣いに見上げてきます。

その顔を見てああ、またやってしまった、と胸の奥がキリリと痛むのでした。

(違うのよ。怒りたいわけじゃないの。ただ、あなたに後で困ってほしくないだけで……)

伝えたいことは山ほどあるのです。宿題をやらないと学校で困ること。約束は守ったほうが気持ちがいいこと。そして何より、私はあなたのことが大切だということ。

なのに、口から出てくるのは棘のある言葉ばかり。

「もう知らないからね」

――ああ、これ、一番言っちゃいけないやつ。

心のどこかで冷静な私が、静かにツッコミを入れるのでした。知らないわけないじゃないですか。知らないふりをして、結局は夜中まで付き合うのがこの私なのですから。

ソファの子どもはしぶしぶといった様子でタブレットを置き、のそのそとテーブルへ向かいます。その背中を見つめながら、私は小さく息を吐きました。

なぜ宿題をしないのか分からない

どうして子どもが宿題をしないのでしょうか?
その理由はいくつか考えられます。
例えば、

  • 宿題よりも優先したいことがあるから
  • 疲労を感じているから
  • 漢字を書くのが面倒臭い
  • 計算が難しい
  • 自学でテーマを調べるのが億劫

といったものが挙げられるでしょう。

 特に子どもの場合、「どうして宿題をしないといけないのか」という宿題をすることの意義が見出せていないことも考えられます。
宿題は「基礎学力の保障」と「学ぶことの習慣をつけるため」に行われるものですよね。
基本は学校から与えられたものを行い、小学校中学年ぐらいから自学という「自分が気になったこと、調べたいと思ったこと」を学習する機会が生まれてきます。
この自学というのが、生涯にわたって続く学びのスタート地点でもあるんです。

基本的な学力を身につけること、義務教育を終えても社会で生きていくために必要な学びの経験を積み重ねること、大人が知っているこの大切さを子どもに伝えることもまた必要になのかもしれません。

つい、怒ってしまう

 冒頭のストーリーにもあるように子どもが宿題をしないときに、怒ってしまいがち。
「宿題をしないと、ゲームを没収するよ」「先生に怒られるよ」「いい加減にしなさい!」皆さんも日常生活でもアニメや漫画、ドラマの世界でも百万回くらい聞いたことがあるのではないでしょうか?

 だけど、怒るのは本当に効果があるのでしょうか?

 実は怒ることは意味がありません。しかし、叱ることは効果があります。

 この違いについて説明しましょう。

 怒るというのは、感情に任せて相手を攻撃するときに使うもの。つまり自分のためにすることです。
一方で叱るというのは、相手の行動を諌め、よりよい行動に繋げるもの。つまり相手のためにすることになります。

 つまり、叱るというのは、よりよい行動ができるように教えたり、子どもと一緒に考えたりする活動なのです。

 このように叱られることによって、宿題をするのであれば特に大きな問題はありません。
 しかし、怒るだけだと、怒られ慣れて効果がなくなってしまうので、怒るのではなく叱る方法を考えたいですね。

見守り方がわからない

 子どもを怒るのではなく、叱ることができるようになった読者さんが悩まれるのは、子どもへの接し方でしょうか。
 勉強は小学校の高学年になっていくと教える方も大変になってきますし、中学校になるとなおさら難しくなっていきます。
 勉強を教えることができないし、勉強中に話しかけるのも邪魔になってしまう。
 そうすると、見守りとはどうしたらいいのか分からなくなってくるかもしれませんね。

 しかし、大丈夫です。
 結論として、見守るときはそこにいるだけでOKです。

 例えばお子さんがまだまだ小さい頃、はいはいや立ち歩いたりする時期には周りに危険なものがないかを確認したり、お昼寝の時間ではちょこちょこと様子を確認したりしたことありますよね。
 見守るとはそのような感じで大丈夫です。

 例えば、リビングで学習するとしましょう。
 その場合は、テレビやスマートフォンなど勉強の気が散るものがないかを確認したり、勉強の様子を夕飯の支度や食後の食器を洗いながら時々みる、そのような関わり方から始めてみてはいかがでしょうか。

 人は誰かに見られていると思うと、頑張ろうとする習性があります。
 家では頑張れなくても、図書館やカフェではよく勉強ができるというのも、人のこの習性のおかげですね。
 そのように、家族が見ているというのは、子どもにとっても大きな意味のあることなのです。

毎日叱らないと動かない状態をどう変えればいい?

 毎日毎日子どもを叱るというのは、心身ともに疲れますし、それを続けていると子どもとの関係性まで悪くなってしまうことも。
 叱らなくても子どもが自分でできるようになっていくようになっていって欲しいものです。

 そのために必要なことは、「環境を変える」ことと「習慣をつくること」が大切になっていきます。
 環境については一つ前の項目で図書館やカフェという話をいたしました。
 勉強以外の不要なものがない環境、周りの目がある環境といったところですね。
 しかし、小学生や中学生には難しいと思いますので、家庭でできる方法を見ていきましょう。

 私は学校の先生として、子どもの行動を把握するために心理学の「応用行動分析」という方法を使っています。
 これは、子どもがその行動をするのにはきっかけ(A)があって、その行動(B)が起きる前のきっかけ(A)と行動後の結果(C)を変えてあげることで、子どもが望ましい行動をできるように促していこうという科学的な方法になります。

 例えば、現在は、

 A:ゲーム等をだらだらとする → B:宿題をしない → C:叱られる

 という状況にあるので、行動前の状況を変えてあげることが必要です。
例えば、

 A:決まった時間になったら席に座る → B:宿題をする → C:褒められる、達成感を感じる

といったイメージでしょうか。

 「決まった時間になったら席に座る」というのが難しい場合、「どうやったら決まった時間に座れるようになるかな?」と考えてみるのが、きっかけ(A)を考えるヒントになります。
 アラームを使ってみるのはどうだろう、夕飯を食べ終わったらまずは宿題の時間というようにしてみたらどうだろう、など色んなアイデアが出てくるのではないでしょうか?

 もし、ピンポイントで自学が苦手という場合では、親子であらかじめ今週や翌週の自学のテーマを決めておくなどの学習のきっかけを作っておくのも良いでしょう。
 他にも、勉強スペースは宿題がすぐにできるようにいつも机(テーブル)の上を片付けておく、鉛筆などがすぐに取れるようにしておくなどの準備も効果的です。

 それでもなかなか、宿題ができない場合は

  • 決まった時間になったら机に向かう。
  • 宿題を出す。
  • まず1問だけ取り組む。
  • 取り組めたことを認める。
  • 慣れてきたら取り組む量を増やす。

など、小さなゴールを決めて子どもができる部分から少しずつ、子どものペースに合わせてやっていきましょう。

 子どもが宿題に取り組んだら、次はその行動に対しての結果を考えましょう。
 今回のストーリーでは「ゲームをすることができる」という楽しいものにつながっています。これだけでも十分なのですが、子どもに習慣をつけて欲しいとき、いつでもゲームを報酬にすることはできないでしょう。
 そこで、「褒められる」、「認められる」という「良い結果」について少し考えてみましょう。

 子どもにとって、親に認められる、親から褒められるということは、とても重要なことになります。

 特に、低学年のお子さんがいらっしゃる家庭、親子関係がぎくしゃくしてきている家庭にとっては、この「認められる」という経験自体がプラスに働くこともあります。
 頑張りを認められる、それは大人にとっても子どもにとっても大切なことですよね。

エピローグ

どうしたらいいのか、本当はわからないのでした。正解なんて、どこにも売っていないのです。

だから今夜も私はため息と一緒に、隣の椅子へそっと腰を下ろすのでした。

「……わかんないところ、ある?」

「……ちょっとだけ」

「ちょっとだけでしょ。早く言いなさいよ」
そう言いながら私の口元は、ほんの少しだけ緩んでいたのです。

「できた……」

子どもが鉛筆を置いて小さくそう呟きました。その声は、さっきまで動画に夢中だった声とはまるで別物です。か細くて、どこか誇らしげでちょっぴり疲れ切った、がんばった人の声なのでした。

ドリルの最後のページには少しだけ斜めに傾いた字が並んでいます。丁寧とは言えません。消しゴムで何度もこすった跡が、白く粉を吹いているのも見えます。けれど、そこには確かにこの子が時間と格闘した証拠が残っているのでした。

(ああ、そういうことなのよね。この「できた」の一言のために、私は毎晩ヒステリックになっているのよね……)

なんだか急に先ほどまでの自分が恥ずかしくなります。怒鳴った声が、まだリビングの空気にうっすら残っている気がして、私はごまかすように立ち上がりました。

「お疲れ様」

できるだけ自然にそう声をかけてみます。すると子どもは、えへへと照れくさそうに笑って、椅子の背にもたれました。その拍子に、小さな背中がぴんと伸びてそれから糸が切れたようにふにゃりと崩れます。

「疲れたあ」

「そりゃ疲れるでしょ。一時間もかかったんだから」

「一時間も?」

「一時間もよ。でも、最後までやったじゃない」

そう言って頭をくしゃくしゃと撫でると、子どもは「やめてよ」と言いながらも、されるがままになっています。そのくせ耳の先がほんのり赤いのでした。まったく、こういうところは可愛いのですから、ずるいと思います。

「ねえ、ちょっとだけ休憩にしない? あったかいもの、入れるけど」

「……ココア?」

「ココア」

「じゃあ、飲む」

子どもはぱっと顔を輝かせて、脱兎のごとくキッチンへ走っていきました。ちょっと待ちなさい、こぼすでしょという私の声は、もう届いていないのでしょう。

(まあ、いいか)

私はマグカップを二つ取り出しながら、さっきまでのぴりぴりした空気が、すうっと消えていくのを感じていました。叱るのも、謝るのも結局は同じくらい難しいのです。でも、こうして「お疲れ様」を言い合えるなら、明日もまたなんとかやっていける気がするのでした。

湯気の向こうで子どもが「次は何分でできるかな」と呟いています。その横顔は、もう次の挑戦を考えているみたいでした。

――お疲れ様。今日のあなたも、今日の私も。

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